2009年05月18日

「出し抜いた」のではなく「成長した」。

平和でなければならない(人を出し抜いてはならない)のに
受験とか色々、人を出し抜かねばならない事になっている。


罪悪感を持つ人もいらっしゃるはずです。でもそこは、
「自分は人を押し上げるために成長するんだ」と解釈すれば宜しいでしょう。

力を得た後に、得た力を、まだ得ていない人のために使えば良い。
利他的か、ということは他者も見ています。

人は本能的に、自分より優れた者が近くにいると無意味に警戒します。
緊張を解き、お互いに相和するためにどうすればいいかというのは、
お互いが利他的になれるかというところに掛かっているのです。

合掌。

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Posted by かた焼きそば  at 10:00 │Comments(0)愚かな禿の説話

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