2010年04月19日

自分で考えた言葉あれこれ

いまある資源、いまいる人で、いまやれることを着実にやっていく 他
ツイッターの再録部分もふくむ

ゲームはゲームであって義務ではない

いまある資源、いまいる人で、いまやれることを着実にやっていく

「尊いのは 頭でなくて 手でなくて 足の裏である
一生人に知られず 一生きたない処と接し 
黙々として その務めを果たしてゆく
足の裏が教えるもの。
しんみんよ 足の裏的な仕事をし 足の裏的な人間になれ。」
(作:坂村真民 「尊いのは足の裏である」)


正義の定義はその時々で変化する
「得ようと思えばまず与えよ」という至言も
相手が堕落する資質をもった状況下においては間違いである。

与える前に、まず見極めよ
与えた後にも、見極めよ
それでもなおかつ、
与えるのを止めた後にも、見極めて再度与えよ。
まるで乳飲み子に、母乳を与えるように。

自らの中で最も尊ぶべきは 「時を見極める力」であり
忌むべきは「長すぎる思考停止」である。


選挙カーのように、どうでもいいものは忘れ去られるしかない

無意味な諦観や知ったかぶりは害悪以外の何物でもない。


お釈迦様が若き頃、まだ出家前の太子の身分であったとき
城の東門から外へでて、ひとりのやせ衰えた老人と出会い
「自分もこのように老いていかねばならないのか」と
心を暗くされて、そこをきっかけとして
生・老・病・死の四苦をおさとりになり、御出家なされる訳だけれども

老人とは「無気力なもの」の総称であって、
年齢や身体的特徴のことをいうのではない。


己にとっての「感動」を求めよ。
それを得る手段をどうすればよいかは、
その問いを自問して練ったものを、どう思うか他人に聞け

感謝と感動は感染する。他人に感染(うつ)せ。


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ドラッカー著書より名言2つ


「浄土真宗必携」より「人間砂漠の案内者」の項引用

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Posted by かた焼きそば  at 20:01 │Comments(0)ひとりごと

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