2009年09月30日

執着と耽溺 無関心と干渉

「お前が言うな」って言われそうなボヤキ。

ひたすらおっぱいおっぱい言ってる奴と
ひたすら潔癖な奴と
ひたすら右な奴と
ひたすら左な奴と
ひたすら神仏を信じてしている奴と
ひたすら無関心な奴と

今はどれも執着と耽溺に見える。

共通点は、およそ浮世離れしている、
あるいはそれが他方の価値観から見れば恥である、
そういう自覚をしていないって事に見える。


信奉者の一人としてこういうこと言うのは失格なんだろうけど、
必要もないのに他人に自分の信仰を勧めたくはない。
ただ、はじめに上げた6人、どれも鬱陶しいものの象徴。
鬱陶しいというそれは他者から見ても同様で、
そう思われない為には距離を開けて無関心である事が・・・

一時的には良いかもしれない。
ただその無関心と無関係によって、
時間とともに形成されてもたらされる害もまた鬱陶しい。


結局は、
己が快適に生きるためには
他人に干渉し続けるより他になく、
また己の行い自体が他人に干渉されることも避けられず、
生きている限り苦悩と葛藤と摩擦が続いていく。


どのみち避けられないというのなら、
他人との摩擦を避けるにはどうしたらいいのだろう?
安易な方法は、「他人に受け入れられる選択をする」と言うことだが
妥協点を探ることはなかなか難しく、
玉虫色の表現なんて言葉も今日では聞かない。


以前上げた、北村弁護士の演説にこうあった。



3:45あたりから


「例えばですよ、「私はお膳立てが全部揃わなければ(選挙に)出ません」と
こういう風に言う候補が居たとすれば、
これは弁護士の目から見ると非常にプライドの高い男だ。

この人にもし日本の未来を託した場合、
ある局面では国益よりも、国民の生活よりも、
自分のプライドを優先するだろう。
そういうもんなんだよ!

(中略)

日本の国益を担って首相として歩むためには
強さが必要なんだよ!人間としての強さが!
そのためには
「自分こそが総理にふさわしいんだ!」と
みんなも思って!自分も思って!それで、
敢然と立ち向かっていく人間でないとダメなんだ!
それが解るか!」


この演説を象徴として考えてみて、
首相(総理)を自分に当てはめてみて、
日本の国益ってのを「自分の周りの皆の利益」と言い換えてみると
どうなるだろうか。


自分にとって鬱陶しいことや、
他者との摩擦を恐れぬ信念を持つ、
そのためには、信念を持つほど勉強する、
勉強すれば、他人の言葉や立場が解るから
他人を有る程度受け入れられるようになる、

そして、浄土真宗的に言えば
すべての執着、悪行はそのままにおいておいて
阿弥陀様に救ってください、と皆で願うことによって
その共通点を以て救われる、と

・・・そう言うことかしらねえ。



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Posted by かた焼きそば  at 10:20 │Comments(0)愚かな禿の説話

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