2009年06月03日
プチ改装にあたっての挨拶のようなもん
長いこと生きてるお陰で
ある程度ものは語れるようになりました。
コレもひとえに阿弥陀様のお導きと、
私を支えてきてくだすった皆様のおかげです。
ある程度ものは語れるようになりました。
コレもひとえに阿弥陀様のお導きと、
私を支えてきてくだすった皆様のおかげです。
私は一般的に言えば負け組かもしれません。
人生なんで好きなように楽しめば良いのですが、
それは個人レベルでの話です。
人を集団としてみたときに、
有る程度の秩序と標準化が必要なのはいうまでもないことです。
−−−−−−−−−−−−<やまおり>−−−−−−−−−−−−−
近頃は場も弁えず本能のままに行動する輩が多くなりました。
世の中そういうものだと諦観しておりますし、
私自身過去そうだったのでしょう。
私一人で為せることなど極僅かで、
他人のすることにいちいち気にしてもしゃーないのですが・・・
このBLOG上では
少なくとも私の目の届く周りには、私の我を通させて頂き
あれこれ口五月蠅く 皆様に話を聞いていただいております。
また素行に問題がなくとも、立ち位置に問題がある方もいらっしゃいます。
人生を楽しむためには 有る程度の標準化というものが必要です。
隠語や暗黙の了解といったものが、社会では多々見受けられます。
知ると知らぬとでは大違いです。
聞けば、そんなものはおしえてもらった事がないという方がほとんどです。
先達が後進に教えればすむ話ですが、
最近は後進に教えようという方もすくなくなりました。
効率を求める余り、己しか見えなくなっているのです。
西欧に於ける個人主義というものは、
非常時には国旗のもとに団結するという愛国心が根底にあって
なんだかんだ勝手いってても西欧人は何かあったら団結するのですよ。
日本ではWW2に負けて以降、アメリカと左翼に教育をボロボロにされ
結果として利己主義とはき違えた個人主義の蔓延を招きました。
大抵の方はご存知だと思いますが、
日本に於ける個人主義は利己主義であって、はき違えられて居るのです。
まあそれは結果論であって、
今やれることをやるしかないわけですが
それでもそんな状況の中で
自分から調べに行く方はまだ救いがあるのです、
寄合所をはじめとして、ネット上にいくらでも情報は転がっていますから。
酷い方は調べようともせず、ただ流れに身を任せておいでです。
見捨てればよい、とお思いですか?
でもわたくしは、彼らをそれだけでは責めることが出来ません。
情熱とは病のように伝染するものです。
私は単にその方々が、
伝染してくれる方に巡り会っていないだけだと思うのです。
前者も後者も、
まだ見ぬ仲間と成長する時間を共有することが、
人生の最大のテーマ「出会い」である、
ということを感覚として解らずにいるのです。
要するに、そこ(出会いの可能性)にワクワクしていないのです。
それは、信on世界の存在自体を危うくする空気であり
そこは歯痒く思っています。
何のための人生か?
そんな事は普通考えないことでしょう、
それはそれで正常な感覚かもしれません。
飽きたらやめればいい、それだけのことですし
自ら進んで物事に挑まない人を周りがどれだけ引っ張っても
たいていの場合徒労に終わります。
ただ、私自身はどうかといえば
様々な人と出会う上でいろんな事を教えてもらいました。
レベルアップをともに喜び、
廃人の突進に轢(ひ)き殺されて怒り、
なんでもない雑談をただ楽しみ、
別れの哀しみに打ちひしがれてここまで来ました。
せっかくの出会いです。
まるで花火のような一瞬の、貴重なリアルの
そのなかの生きる時間の、その一瞬を共有しているのです。
出来ればその出会いが有意義であって欲しい。
このBLOGでわたくしは、わたくしの日々の思いをつづり、そのなかで
この無明の世界で生きていく上で
必要最低限の知識をお話ししようとつとめております。
また同時に、人としてどうあるべきか
私自身が思う「徳」の道を述べていますし
それを考える上で参考になる書籍をご紹介しています。
私自身、大した男ではありませんし
こんな文を大真面目に書く、救いようのない阿呆です(笑)
あと基本はダラダラしたプレイ日記だったりします。
その延長線上で、
僧籍もない愚禿(ぐとく)が、ひとに道を説くことなどおこがましい限りですが
そこを黙っておられないあたりが
わたくしの業(ごう)であり破戒(はかい)と言えるかも知れません。
その結果がどうなるか私の知り得るところではありません。
わたくしは状況を拙速に変えようとは思っておりません。
一人で出来ることには限りがある。
そんなことが出来るのは阿弥陀様ぐらいのものです。
ですから小難しいことは、全てほとけさまにお任せしています。
他力本願、というやつですが
説明すると長くなりますのでそれは又の機会に譲るとして。
ただ願わくばお一人でも、その心の情熱に
良い意味で火の光を灯せたら、とか都合の良い事を考えております。
−−−−−−−−−−−<やまのてせん>−−−−−−−−−−−−
よろしければ、しばしわたくしと共に座興にお付き合い下さい。
混沌としておりますので、共感していただけることもあれば
私の俗塵っぷりに反吐が出る事もあるでしょう。
あなたの感じたことそのままが貴方の真実です。
どうぞ、それぞれの真実を持ち帰って下さい。
私はそれに対してとやかくもうしません。
それでももしあなたが、
わたくしの言葉に一つでも光明を見いだせたなら
是非とも共に唱えてやってください。
なむあみだぶつ と。
どこまでが座興でどこまでが本気かは、ご想像にお任せいたします。
人生なんで好きなように楽しめば良いのですが、
それは個人レベルでの話です。
人を集団としてみたときに、
有る程度の秩序と標準化が必要なのはいうまでもないことです。
−−−−−−−−−−−−<やまおり>−−−−−−−−−−−−−
近頃は場も弁えず本能のままに行動する輩が多くなりました。
世の中そういうものだと諦観しておりますし、
私自身過去そうだったのでしょう。
私一人で為せることなど極僅かで、
他人のすることにいちいち気にしてもしゃーないのですが・・・
このBLOG上では
少なくとも私の目の届く周りには、私の我を通させて頂き
あれこれ口五月蠅く 皆様に話を聞いていただいております。
また素行に問題がなくとも、立ち位置に問題がある方もいらっしゃいます。
人生を楽しむためには 有る程度の標準化というものが必要です。
隠語や暗黙の了解といったものが、社会では多々見受けられます。
知ると知らぬとでは大違いです。
聞けば、そんなものはおしえてもらった事がないという方がほとんどです。
先達が後進に教えればすむ話ですが、
最近は後進に教えようという方もすくなくなりました。
効率を求める余り、己しか見えなくなっているのです。
西欧に於ける個人主義というものは、
非常時には国旗のもとに団結するという愛国心が根底にあって
なんだかんだ勝手いってても西欧人は何かあったら団結するのですよ。
日本ではWW2に負けて以降、アメリカと左翼に教育をボロボロにされ
結果として利己主義とはき違えた個人主義の蔓延を招きました。
大抵の方はご存知だと思いますが、
日本に於ける個人主義は利己主義であって、はき違えられて居るのです。
−−−−−−−−−−−−<たにおり>−−−−−−−−−−−−−
まあそれは結果論であって、
今やれることをやるしかないわけですが
それでもそんな状況の中で
自分から調べに行く方はまだ救いがあるのです、
寄合所をはじめとして、ネット上にいくらでも情報は転がっていますから。
酷い方は調べようともせず、ただ流れに身を任せておいでです。
見捨てればよい、とお思いですか?
でもわたくしは、彼らをそれだけでは責めることが出来ません。
情熱とは病のように伝染するものです。
私は単にその方々が、
伝染してくれる方に巡り会っていないだけだと思うのです。
前者も後者も、
まだ見ぬ仲間と成長する時間を共有することが、
人生の最大のテーマ「出会い」である、
ということを感覚として解らずにいるのです。
要するに、そこ(出会いの可能性)にワクワクしていないのです。
それは、信on世界の存在自体を危うくする空気であり
そこは歯痒く思っています。
−−−−−−−−−−−−<さばおり>−−−−−−−−−−−−−
何のための人生か?
そんな事は普通考えないことでしょう、
それはそれで正常な感覚かもしれません。
飽きたらやめればいい、それだけのことですし
自ら進んで物事に挑まない人を周りがどれだけ引っ張っても
たいていの場合徒労に終わります。
ただ、私自身はどうかといえば
様々な人と出会う上でいろんな事を教えてもらいました。
レベルアップをともに喜び、
廃人の突進に轢(ひ)き殺されて怒り、
なんでもない雑談をただ楽しみ、
別れの哀しみに打ちひしがれてここまで来ました。
せっかくの出会いです。
まるで花火のような一瞬の、貴重なリアルの
そのなかの生きる時間の、その一瞬を共有しているのです。
出来ればその出会いが有意義であって欲しい。
−−−−−−−−−−−<きりとりせん>−−−−−−−−−−−−
このBLOGでわたくしは、わたくしの日々の思いをつづり、そのなかで
この無明の世界で生きていく上で
必要最低限の知識をお話ししようとつとめております。
また同時に、人としてどうあるべきか
私自身が思う「徳」の道を述べていますし
それを考える上で参考になる書籍をご紹介しています。
私自身、大した男ではありませんし
こんな文を大真面目に書く、救いようのない阿呆です(笑)
あと基本はダラダラしたプレイ日記だったりします。
その延長線上で、
僧籍もない愚禿(ぐとく)が、ひとに道を説くことなどおこがましい限りですが
そこを黙っておられないあたりが
わたくしの業(ごう)であり破戒(はかい)と言えるかも知れません。
その結果がどうなるか私の知り得るところではありません。
わたくしは状況を拙速に変えようとは思っておりません。
一人で出来ることには限りがある。
そんなことが出来るのは阿弥陀様ぐらいのものです。
ですから小難しいことは、全てほとけさまにお任せしています。
他力本願、というやつですが
説明すると長くなりますのでそれは又の機会に譲るとして。
ただ願わくばお一人でも、その心の情熱に
良い意味で火の光を灯せたら、とか都合の良い事を考えております。
−−−−−−−−−−−<やまのてせん>−−−−−−−−−−−−
よろしければ、しばしわたくしと共に座興にお付き合い下さい。
混沌としておりますので、共感していただけることもあれば
私の俗塵っぷりに反吐が出る事もあるでしょう。
あなたの感じたことそのままが貴方の真実です。
どうぞ、それぞれの真実を持ち帰って下さい。
私はそれに対してとやかくもうしません。
それでももしあなたが、
わたくしの言葉に一つでも光明を見いだせたなら
是非とも共に唱えてやってください。
なむあみだぶつ と。
どこまでが座興でどこまでが本気かは、ご想像にお任せいたします。
