2010年08月30日

御文章一帖目 第十一通 (電光朝露の章?)

御文章一帖目 第十一通 (電光朝露の章?)

それおもんみれば、人間はただ電光朝露の、ゆめまぼろしのあいだのたのしみぞかし。
たといまた栄花栄耀にふけりて、おもうさまのことなりというとも、
それはただ五十年乃至百年のうちのことなり。

もしただいまも、無常のかぜきたりてさそいなば、いかなる病苦にあいてかむなしくなりなんや。
まことに、死せんときは、
かねてたのみおきつる妻子も、財宝も、わが身にはひとつもあいそうことあるべからず。
されば、死出の山路のすえ、三途の大河をば、ただひとりこそゆきなんずれ。

これによりて、ただふかくねがうべきは後生なり、またたのむべきは弥陀如来なり、
信心決定してまいるべきは安養の浄土なりと、おもうべきなり。

これについてちかごろは、この方の念仏者の坊主達、仏法の次第もってのほか相違す。
そのゆえは、門徒のかたよりものをとるをよき弟子といい、これを信心のひとといえり。
これおおきなるあやまりなり。
また弟子は、坊主にものをだにもおおくまいらせば、
わがちからかなはずとも、坊主のちからにてたすかるべきようにおもえり。
これもあやまりなり。

かくのごとく坊主と門徒のあいだにおいて、さらに当流の信心のこころえの分はひとつもなし。
まことにあさましや。
師・弟子ともに、極楽には往生せずして、むなしく地獄におちんことはうたがいなし。
なげきてもなおあまりあり。
かなしみてもなおふかくかなしむべし。

しかれば今日よりのちは、他力の大信心の次第を、
よく存知したらんひとにあいたずねて、
信心決定して、その信心のおもむきを弟子にもおしえて、
もろともに、今度の一大事の往生を、よくよくとぐべきものなり。

あなかしこ、あなかしこ。

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Posted by かた焼きそば  at 12:00 │Comments(0)名言メモ

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