2010年08月30日
御文章一帖 十二通 年来超勝寺云々
御文章一帖 十二 年来超勝寺云々。
固有名詞出てきてるんで章と名付けるのはためらった・・・
固有名詞出てきてるんで章と名付けるのはためらった・・・
そもそも、年来超勝寺の門徒において、仏法の次第もつてのほか相違せり。
そのいはれは、まづ座衆とてこれあり。
いかにもその座上にあがりて、さかづきなんどまでもひとよりさきに飲み、
座中のひとにもまたそのほかたれたれにも、いみじくおもはれんずるが、
まことに仏法の肝要たるやうに心中にこころえおきたり。
これさらに往生極楽のためにあらず。ただ世間の名聞に似たり。
しかるに当流において毎月の会合の由来はなにの用ぞなれば、
在家無智の身をもつて、いたづらに暮しいたづらに明かして、
一期はむなしく過ぎて、つひに三途に沈まん身が、
一月に一度なりとも、せめて念仏修行の人数ばかり道場に集まりて、
わが信心は、ひとの信心は、いかがあるらんといふ信心沙汰を
すべき用の会合なるを、
ちかごろはその信心といふことはかつて是非の沙汰におよばざるあひだ、
言語道断あさましき次第なり。
所詮自今以後はかたく会合の座中において信心の沙汰をすべきものなり。
これ真実の往生極楽をとぐべきいはれなるがゆゑなり。
あなかしこ、あなかしこ。
そのいはれは、まづ座衆とてこれあり。
いかにもその座上にあがりて、さかづきなんどまでもひとよりさきに飲み、
座中のひとにもまたそのほかたれたれにも、いみじくおもはれんずるが、
まことに仏法の肝要たるやうに心中にこころえおきたり。
これさらに往生極楽のためにあらず。ただ世間の名聞に似たり。
しかるに当流において毎月の会合の由来はなにの用ぞなれば、
在家無智の身をもつて、いたづらに暮しいたづらに明かして、
一期はむなしく過ぎて、つひに三途に沈まん身が、
一月に一度なりとも、せめて念仏修行の人数ばかり道場に集まりて、
わが信心は、ひとの信心は、いかがあるらんといふ信心沙汰を
すべき用の会合なるを、
ちかごろはその信心といふことはかつて是非の沙汰におよばざるあひだ、
言語道断あさましき次第なり。
所詮自今以後はかたく会合の座中において信心の沙汰をすべきものなり。
これ真実の往生極楽をとぐべきいはれなるがゆゑなり。
あなかしこ、あなかしこ。
御文章一帖目 第十一通 (電光朝露の章?)
「浄土真宗必携」より「人間砂漠の案内者」の項引用
ドラッカー著書より名言2つ
歎異抄12段「一、経釈をよみ学せざる輩~」より一部抜粋
「実はたった1世代」ってモノや慣習 503対策コピペ
あるコラムより
「浄土真宗必携」より「人間砂漠の案内者」の項引用
ドラッカー著書より名言2つ
歎異抄12段「一、経釈をよみ学せざる輩~」より一部抜粋
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あるコラムより