2009年10月01日

浄土真宗必携 改訂―浄土真宗本願寺派 (単行本)


私自身が拠り所とする、浄土真宗の教えの入門書。

念のため、本願寺出版社のサイトも掲示しておきます。

本願寺出版社公式通販ウェブサイト


リンク先サイト右上のサイト内検索機能から、
「必携」で検索かけると赤い本が出てきますが、
私の持ってるのはたぶんこっちだと思います。

巻中で読んで欲しい所(私の手元にあるものと同じであるならば)

冒頭「しあわせへの門」

きょうも一日、わたくしたちはしあわせを追い求めて生きてゆきます。そのしあわせをあなたは、他の人とくらべることによって感じようとしてはいませんか。

たとえば服を三着もっていれば、一着しかないひとに
くらべて満足かも知れません。
しかし、新しい服を五着もっている人が現れたら、
いままでの満足感はたちまち消え失せてしまいます。
(中略)
他の人とくらべて幸せを感じようとすれば、いきおい
人を押しのけてでも先に出ようとする競り合いを
はじめるようになり、
あるいはその競争に勝つ自信のないものは、ついには
他人がつまづいて、自分より遅れることを
望むようになってしまいます。


またあなたは、ものや権力を所有することによって、
しあわせになろうと望んではいませんか。

(中略)
お金をはじめとして、私たちの所有するものは、
すべてふえたりへったりして変化するものです。
それにつれてその人の幸福も、
ふくらんだりしぼんだりするのです。

(中略)

つまり、幸福を比較の上に築こうとし、
所有によってつかもうとしているからです。

(中略)

相互に傷つき、所有することによって
執着(とらわれ)し、そのことに苦しめられるのです。

「比較」と「所有」というふたつの道だけが、幸福への道ではありません。

(中略)

同じ見慣れた風景が、ときによって
ちがってみえる経験をあなたはお持ちではありませんか。
(中略)
ということは、あなたのもっている
「人生を見る目」は、そのときの気分によって
揺れ動く、不安定な目でしかないことを物語っているのです。

(中略)

一見しただけではとらえどころのない人生も、
たしかな目と耳をもつものには、
すばらしい図柄が浮き上がってくるし、

雑音の中から、あなたが聞かねばならぬ
主旋律が聞き取れてくるのです。


そういう、人生を見るたしかな目や耳を総称して
「真実の知恵」といいます。
仏教は、そういう知恵を養う教えです。


p27

「自らをともしびとし、自らをよりどころとして、他をよりどころとしてはならない。
法をともしびとし、法をよりどころとして、他をよりどころとしてはならない」


p29〜「釈尊の教え」
仏教では奇跡を認めない

「これあるゆえにかれあり。これ起こるゆえにかれ起こる。
・・・これなきゆえにかれなく、これ滅するゆえにかれ滅す・・・」


<巻中から抜粋>

「あきらかにする」ということを諦(たい)という字であらわしますが、
それはしばしば誤解されているように、いわゆる仕方がないと
アキラメルのではなく、あきらかに見極めていく事なのです。

正覚の直後、鹿野苑での最後の説法は、
中道、四諦、八正道であったと伝えられております。

まず釈尊は、快楽を追い求めることの愚をたしなめ、
また反対に、極端な苦行の無益であることをさとし、
両極端にとらわれる事を排して正しく道を修めてゆくよう
中道を説かれました。つづいて説かれた苦、集、滅、道の四つの諦とは・・・


p31 「人生の実相−苦諦(くたい)−」
四諦 諦(たい)とは何か、四苦八苦の本義(生老病死、など)

p35 「苦悩を超える道−道諦(どうたい)−」
正見、正思惟、正語、正業、正命、正精進、正念、正定

p97〜「親鸞聖人の生涯と教団の歴史」

p282 後註

ほか、巻後半における教団の現状や浄土真宗の作法など

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Posted by かた焼きそば  at 11:48 │Comments(0)おすすめ書籍紹介

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