2009年03月12日
悪人正機とはなにか:甲坂流解釈
私の少ない見識からすると、悪人正機というのは
「悪人さん、是非貴方をお救いさせて下さい」というスタンスなわけです。
「何故そんなに」と思うほど、遜っているように見えます。
一つは、ウィキペディアに書いてあるような、
「自らを善人と思いこんでいる者もまた悪人である」
(つまり、全ての人が悪人と言える)という点。
ここに
もう一つ私なりの解釈を付け加えてみたいと思います。
この間「銀のアンカー」というマンガで
「日本の企業は何故新卒一括採用をするのか」云々、という内容をやっていて
「現役社員の成長のためでもある。人は人に教える時に思考が整理され、成長する」
という趣旨の主張が乗っておりました。
なればこの「新人」という言葉を「悪人」と言い換えて見ればどうでしょうか。
「人は人に教える時に思考が整理され、成長する」のですから、
教導者たる者(僧や信者)が人を導くとき、
同じような現象が起こるのではないでしょうか。
信念を以て他者を導かんとし、困難を乗り越えるとき
人は自らをも戒め、自らをも変え、成長していくのではないでしょうか。
この二つ(既存説と私の解釈の2つ)から見えるものは、
「より他人に向き合おうとする意欲」だと思います。
合掌。
「悪人さん、是非貴方をお救いさせて下さい」というスタンスなわけです。
「何故そんなに」と思うほど、遜っているように見えます。
一つは、ウィキペディアに書いてあるような、
「自らを善人と思いこんでいる者もまた悪人である」
(つまり、全ての人が悪人と言える)という点。
ここに
もう一つ私なりの解釈を付け加えてみたいと思います。
この間「銀のアンカー」というマンガで
「日本の企業は何故新卒一括採用をするのか」云々、という内容をやっていて
「現役社員の成長のためでもある。人は人に教える時に思考が整理され、成長する」
という趣旨の主張が乗っておりました。
なればこの「新人」という言葉を「悪人」と言い換えて見ればどうでしょうか。
「人は人に教える時に思考が整理され、成長する」のですから、
教導者たる者(僧や信者)が人を導くとき、
同じような現象が起こるのではないでしょうか。
信念を以て他者を導かんとし、困難を乗り越えるとき
人は自らをも戒め、自らをも変え、成長していくのではないでしょうか。
この二つ(既存説と私の解釈の2つ)から見えるものは、
「より他人に向き合おうとする意欲」だと思います。
合掌。
他人の意見を解釈する時に負う、己の責任とその苦について
ネタバレ文化への批判
「救わずに置かぬぞ」−初心者への正しい優しさ。
執着と耽溺 無関心と干渉
テレビの占いと、発声練習としての「南無阿弥陀仏」について
未熟でも人に教えて良い、ただし気長に
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