2009年02月20日
超然主義がオススメ。ほか雑記
「ひっこしに当たって」改題 19:00加筆
リアルで引っ越ししてまして、少しの間不在がありました。
で、ものを整理してると幾つか思い浮かんだことがあって
以下、脈絡なく しかしなるべく結論のみ、つらつらと。
0。ちょっとした切っ掛けで変わる。
1。新居では掃除をこまめにやりたい。
2。持つべきものは「身内」である。
3。力で場を支配しすぎる(あくまで「過剰」な場合)と、人間は退化する。
4。全ての現象は本能に通じ、集団心理は常にヒステリーで動いている。
5。相手が我を通すなら、こちらも我を通すだけのこと。
6。一兎を追う二虎は一兎をも得られない。
7。生きることと死ぬこと、それも新陳代謝の一種である。
8。超然主義がオススメ。
リアルで引っ越ししてまして、少しの間不在がありました。
で、ものを整理してると幾つか思い浮かんだことがあって
以下、脈絡なく しかしなるべく結論のみ、つらつらと。
0。ちょっとした切っ掛けで変わる。
1。新居では掃除をこまめにやりたい。
2。持つべきものは「身内」である。
3。力で場を支配しすぎる(あくまで「過剰」な場合)と、人間は退化する。
4。全ての現象は本能に通じ、集団心理は常にヒステリーで動いている。
5。相手が我を通すなら、こちらも我を通すだけのこと。
6。一兎を追う二虎は一兎をも得られない。
7。生きることと死ぬこと、それも新陳代謝の一種である。
8。超然主義がオススメ。
−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−−
0。ちょっとした切っ掛けで人生?は変わる。
踏ん切り5秒、作業10秒。
5秒で踏ん切るだけで、その後の作業が
芋づる式に出てきて、芋づる式に片付いていく。
「あ、よし。やろう。」口に出して言うと脳が「だませる」みたいだ。
いつだったか、はてなブックマークビューアから飛んだ記事にこんなことが書いてあった。
1.TODOリスト(やるべき作業の一覧を紙などに書き出したもの)の項目の横に()して
1〜60の数字(=作業に何分掛かるか)を書け。
2.60分以上かかるものは落ち着くまで考えない(紙に残して、思考の中からは消す)
3.1、で書けた一覧の()内の数字をみて、掛かる時間の「短い」ものからやっていく。
1。新居では掃除をこまめにやりたい。
掃除機をこまめに掛けるためには、掃除機の仕様を考えると
部屋がなるべくフラット、平坦でなければならない。
だから、これからは部屋の中に
「動かないもの(机等)」「入れ物(カゴやファイルケースなど)」を
極力増やさない。
タンスではなく、押し入れを活用する。
あふれたものは捨てる。
使う「だろう」というものは思い切って捨てる。
整理するとは、捨てることである。
2。持つべきものは「身内」である。
親身になって色々動いてくれるのは身内しかいない。
「身内」の定義も曖昧ではあるが
+して交友誼を広げていきたい。
よくもわるくも、人間は感情で動いている。
国家単位でものごとを考えると想像しづらいのだが
想像しやすい身近な身内のためになら、
「何かを(わざわざ)やる」のも「悪くない」と思えるんじゃないか。
3。力で場を支配しすぎる(あくまで「過剰」な場合)と、人間は退化する。
「本当のことを言う」ITPro
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090212/324601/?ST=management&P=1
リンク先に マスコミの例をあげて より具体的な事が書いてあるんで参照のこと。
4。全ての現象は本能に通じ、集団心理は常にヒステリーで動いている。
ちと時事ネタについて個人的な意見
テレビを見なかったこの一週間の内に、中川昭一大臣が辞任していた。
日本にとって大きな損失だ。
これをイメージ操作で煽ったのはマスゴミ。
調べたらこの泥酔の原因を作ったのも日経新聞の記者だというではないか。
実務能力に関係のないところを根拠にして、
一国の大臣を、しかも財務を司る人を軽々しく辞任に追い込んだ
この国の国民もマスゴミも救いようがないほど許し難い。
ただ
孫子曰く「人は怒りで動く」だそうだ。
やっぱり一時的なヒステリーなんだ、原因は。
過去をさかのぼって「事件」と名の付くモノを全部みたら
それが原因でないものはほとんど無いだろう。
WW2もヒステリー。
環境問題、温暖化もヒステリー。
改革という言葉もヒステリーの産物。
こんなんとかも。
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090220/1235096962
枚挙にいとまがないが個別の言及はやめておくが、
ヒステリーに流されない見識を養わねばならない。
「時が熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、
また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには、
そのときこそ、正義の女神は、
その秤を平衡に保ちながら、
過去の賞罰の多くに、
そのところを変えることを要求するだろう。」
(東京裁判におけるパール判事の判決文より)
5。相手が我を通すなら、こちらも我を通すだけのこと。
俺みたいなのが道を語るなんてちゃんちゃらおかしいのだろうが、
遠慮自重するべき理由なんてどこにもないからものを言う。
どう受け取るかは相手次第だし、何を言おうが勝手の内だからだ。
凡人と聖者の違いは説得力と正解率である。
説得力を持たせるためには行動と見識を備える必要がある。
そこから権威が生まれるのではないかと思うが、
権威は目安であり作品の個別評価は個別に行われる。
凡人にも聖者にも狂人にも、「至言を吐く可能性が存在する」だけだ。
評価を欲するならば、より多くの至言をコンスタントに生み出さねばならないということだろう。
為さぬ正義は意味を失う。
世の中には先人の作った権威を笠に着て
羊頭狗肉を掲げている者達が居る。
説得力はあくまで行動と見識によって為すものだから、
それを行う事こそが恥ずべきものだろう。
6。一兎を追う二虎は一兎をも得られない。
ただし例外もある。
二兎を追う者は一兎をも得ず、
一兎を追う二虎は一兎をも得られない。。
追われる獲物は二虎が争う内に逃げ去るからだ。
恋愛の最終目的が仮に自己と相手が添い遂げて幸福を得る事であるならば
独占欲のみに凝り固まって相手を不幸にする二虎は果たしてどうなのだろうか?
7。生きることと死ぬこと、それも新陳代謝の一種。
戦後教育を受けてきた世代は、
「人の命はかけがえのないもの」と教えられてきた。
それに間違いはないが、「地球より重い」と過剰な論評がつけば話は別だ。
「語り伝えないものがある
伝えてはいけないことがある
紡いではいけない命がある」(要旨)
<メタルギアソリッド4 E3 2006トレーラームービー文末>
http://www.konami.jp/mgs4/jp/
体の中で常に細胞が死に、そして生まれている。
空間は限られており、先に生まれたものが退かなければ
後から来る者の居場所はない。
悲しい事だが、滅びを受け入れる。
でも死にたくはなく、生きたい。
だから、精一杯やる。
死ぬまで、精一杯、自分の立場で、自分が出来る事を、最大限に。
最大限にやるということは出来ることを増やすということ。
保守と改正(拡張)は同時進行でなければならない。
人はまず真似をし、そこから成長する。
すなわち、自分がやれることを増やすということは
それを伝達する後進のためでもあるわけだ。
情けは人のためならず。
8。超然主義がオススメ。
ついでにもう一つ
「人には表裏がある」なんてことを常時考えてて生きてるの楽しいか?
俺は「超然主義」の立場を取りたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E7%84%B6%E4%B8%BB%E7%BE%A9
本人が内面でどう思っているか というのは
「例え他人から命令されてやった行為でも
行動に対する結果責任を負うのは個人であり本人である」、
ということとは別個に説明されなければならない。
0。ちょっとした切っ掛けで人生?は変わる。
踏ん切り5秒、作業10秒。
5秒で踏ん切るだけで、その後の作業が
芋づる式に出てきて、芋づる式に片付いていく。
「あ、よし。やろう。」口に出して言うと脳が「だませる」みたいだ。
いつだったか、はてなブックマークビューアから飛んだ記事にこんなことが書いてあった。
1.TODOリスト(やるべき作業の一覧を紙などに書き出したもの)の項目の横に()して
1〜60の数字(=作業に何分掛かるか)を書け。
2.60分以上かかるものは落ち着くまで考えない(紙に残して、思考の中からは消す)
3.1、で書けた一覧の()内の数字をみて、掛かる時間の「短い」ものからやっていく。
1。新居では掃除をこまめにやりたい。
掃除機をこまめに掛けるためには、掃除機の仕様を考えると
部屋がなるべくフラット、平坦でなければならない。
だから、これからは部屋の中に
「動かないもの(机等)」「入れ物(カゴやファイルケースなど)」を
極力増やさない。
タンスではなく、押し入れを活用する。
あふれたものは捨てる。
使う「だろう」というものは思い切って捨てる。
整理するとは、捨てることである。
2。持つべきものは「身内」である。
親身になって色々動いてくれるのは身内しかいない。
「身内」の定義も曖昧ではあるが
+して交友誼を広げていきたい。
よくもわるくも、人間は感情で動いている。
国家単位でものごとを考えると想像しづらいのだが
想像しやすい身近な身内のためになら、
「何かを(わざわざ)やる」のも「悪くない」と思えるんじゃないか。
3。力で場を支配しすぎる(あくまで「過剰」な場合)と、人間は退化する。
「本当のことを言う」ITPro
http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/COLUMN/20090212/324601/?ST=management&P=1
リンク先に マスコミの例をあげて より具体的な事が書いてあるんで参照のこと。
4。全ての現象は本能に通じ、集団心理は常にヒステリーで動いている。
ちと時事ネタについて個人的な意見
テレビを見なかったこの一週間の内に、中川昭一大臣が辞任していた。
日本にとって大きな損失だ。
これをイメージ操作で煽ったのはマスゴミ。
調べたらこの泥酔の原因を作ったのも日経新聞の記者だというではないか。
実務能力に関係のないところを根拠にして、
一国の大臣を、しかも財務を司る人を軽々しく辞任に追い込んだ
この国の国民もマスゴミも救いようがないほど許し難い。
ただ
孫子曰く「人は怒りで動く」だそうだ。
やっぱり一時的なヒステリーなんだ、原因は。
過去をさかのぼって「事件」と名の付くモノを全部みたら
それが原因でないものはほとんど無いだろう。
WW2もヒステリー。
環境問題、温暖化もヒステリー。
改革という言葉もヒステリーの産物。
こんなんとかも。
http://d.hatena.ne.jp/jun-jun1965/20090220/1235096962
枚挙にいとまがないが個別の言及はやめておくが、
ヒステリーに流されない見識を養わねばならない。
「時が熱狂と偏見をやわらげたあかつきには、
また理性が虚偽からその仮面を剥ぎとったあかつきには、
そのときこそ、正義の女神は、
その秤を平衡に保ちながら、
過去の賞罰の多くに、
そのところを変えることを要求するだろう。」
(東京裁判におけるパール判事の判決文より)
5。相手が我を通すなら、こちらも我を通すだけのこと。
俺みたいなのが道を語るなんてちゃんちゃらおかしいのだろうが、
遠慮自重するべき理由なんてどこにもないからものを言う。
どう受け取るかは相手次第だし、何を言おうが勝手の内だからだ。
凡人と聖者の違いは説得力と正解率である。
説得力を持たせるためには行動と見識を備える必要がある。
そこから権威が生まれるのではないかと思うが、
権威は目安であり作品の個別評価は個別に行われる。
凡人にも聖者にも狂人にも、「至言を吐く可能性が存在する」だけだ。
評価を欲するならば、より多くの至言をコンスタントに生み出さねばならないということだろう。
為さぬ正義は意味を失う。
世の中には先人の作った権威を笠に着て
羊頭狗肉を掲げている者達が居る。
説得力はあくまで行動と見識によって為すものだから、
それを行う事こそが恥ずべきものだろう。
6。一兎を追う二虎は一兎をも得られない。
ただし例外もある。
二兎を追う者は一兎をも得ず、
一兎を追う二虎は一兎をも得られない。。
追われる獲物は二虎が争う内に逃げ去るからだ。
恋愛の最終目的が仮に自己と相手が添い遂げて幸福を得る事であるならば
独占欲のみに凝り固まって相手を不幸にする二虎は果たしてどうなのだろうか?
7。生きることと死ぬこと、それも新陳代謝の一種。
戦後教育を受けてきた世代は、
「人の命はかけがえのないもの」と教えられてきた。
それに間違いはないが、「地球より重い」と過剰な論評がつけば話は別だ。
「語り伝えないものがある
伝えてはいけないことがある
紡いではいけない命がある」(要旨)
<メタルギアソリッド4 E3 2006トレーラームービー文末>
http://www.konami.jp/mgs4/jp/
体の中で常に細胞が死に、そして生まれている。
空間は限られており、先に生まれたものが退かなければ
後から来る者の居場所はない。
悲しい事だが、滅びを受け入れる。
でも死にたくはなく、生きたい。
だから、精一杯やる。
死ぬまで、精一杯、自分の立場で、自分が出来る事を、最大限に。
最大限にやるということは出来ることを増やすということ。
保守と改正(拡張)は同時進行でなければならない。
人はまず真似をし、そこから成長する。
すなわち、自分がやれることを増やすということは
それを伝達する後進のためでもあるわけだ。
情けは人のためならず。
8。超然主義がオススメ。
ついでにもう一つ
「人には表裏がある」なんてことを常時考えてて生きてるの楽しいか?
俺は「超然主義」の立場を取りたい。
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%B6%85%E7%84%B6%E4%B8%BB%E7%BE%A9
本人が内面でどう思っているか というのは
「例え他人から命令されてやった行為でも
行動に対する結果責任を負うのは個人であり本人である」、
ということとは別個に説明されなければならない。
他人の意見を解釈する時に負う、己の責任とその苦について
ネタバレ文化への批判
「救わずに置かぬぞ」−初心者への正しい優しさ。
執着と耽溺 無関心と干渉
テレビの占いと、発声練習としての「南無阿弥陀仏」について
未熟でも人に教えて良い、ただし気長に
ネタバレ文化への批判
「救わずに置かぬぞ」−初心者への正しい優しさ。
執着と耽溺 無関心と干渉
テレビの占いと、発声練習としての「南無阿弥陀仏」について
未熟でも人に教えて良い、ただし気長に